3.11私たちの記憶~スタッフの記憶③あの日の記憶を、未来へつなぐ

(スタッフの記憶編③)
◇ 15年前の3月11日 14時46分
あなたは、何をしていましたか?

 

私が初めて被災地に入ったのは、震災から2か月後の5月でした。

宮城県気仙沼市に到着したのは、まだ夜が明けきらない朝3時。

今でも、あの光景は忘れられません。

鉄骨がむき出しになった建物。 ガレキの残骸。 鼻を刺す腐った魚の匂い。 漆黒の暗闇の中で聞こえる波の音……。

そのすべてを、今でも鮮明に覚えています。

 

「小さなことでもいい。とにかく何かしなければ」 そう強く思った瞬間でした。

自分の中でカチッと「スイッチ」が入った感覚を、今でもはっきり覚えています。

それは同時に、私の人生を大きく変えた瞬間でもありました。

 

当時の私は、福祉の「ふ」の字も知らない、まさに福祉のど素人。

それでも「誰かが困ったときに寄り添える存在になりたい」という思いだけを胸に、 ただがむしゃらに走り続ける日々が始まりました。

 

気がつけば、支援活動を始めてから10年以上。

その間に相談員やケアマネジャーの資格も取得し、必死に現場と向き合い続けてきました。

そして震災から15年が経った今でも、あの時の光景は私の中で生き続けています。

 

日々の仕事の中で壁にぶつかったとき、ふとあの夜明け前の景色を思い出すことがあります。

15年前に胸に刻んだ「決意」は、今でも私の原動力です。

また、この15年の中で、本当に多くの方々と出会うことができました。 利用者様とそのご家族。 被災地域で働く福祉従事者の皆さま。

そして共に現場で働いてきた仲間たち。

一人ひとりに支えられ、励まされ、時には背中を押してもらいながら、ここまで歩んでくることができました。

 

振り返れば、その過程には自分一人の力では越えられなかった壁がいくつもありました。

迷ったとき。 悩んだとき。 立ち止まりそうになったとき。 そっと手を差し伸べてくれたのは、いつも「人」でした。

この15年で出会った人たちは、私にとってかけがえのない「財産」です。

あの日、気仙沼でスイッチが入った私が、今日まで走り続けてこられたのは、間違いなく私の背中を押し続けてくれた人たちがいたからです。

 

一方で、震災から15年が経ち、「あの日」を知らない世代も増え、記憶の風化が進んでいます。

そんな中、昨年ありがたいことに、私自身の経験を次世代の子どもたちに伝える機会をいただきました。

気仙沼で見た光景。 胸の奥でスイッチが入った瞬間。 そして福祉の道へ進むきっかけとなった出来事。

子どもたちは真剣に耳を傾け、時に驚き、時に考え込みながら、まっすぐに受け止めてくれました。

その姿を見て、 「伝えることは未来を守ることにつながる」 「語り継ぐことも、私にできる支援の一つだ」 そう強く感じました。

これからも現場と向き合いながら、あの日の「記憶」と「教訓」を未来へつないでいく役割を果たしていけたらと思っています。